ヨハン・シュトラウス2世の
29歳の頃だろうか。会社の出張の帰り、都営大江戸線のホームで会社の同僚と「これから私たちは如何に生きるべきか」話していた。彼女は画家志望、あるいはデザイナー志望であった。私より年上だった。
私は人と会話をしている時、打ち解けてくると、敬語とタメ語を織り交ぜて話す。律儀であると同時に砕けている。これはもともと私に備わっている気質なのかもしれないし、もしかすると、年齢、性別を、自分にも相手にも感じさせないで交流するために後天的に獲得した技法なのかもしれない。しかし、当人は人一倍、年齢を、性別を意識しているのかもしれない。これが実情だろう。「三十にして立つ」と誰かが言ったが、私たちは焦っていたのである。
これからの人生、何を大切にして生きていけばいいのか。いつまでも若くない。人生は短いのである。この問いに対して私は、
「僕は文学だな」
と答えた。すると、彼女はすかさず、
「あと、酒と女ね」
と、余すことなく言った。