二〇の頃

どんなときもどんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなモノは好き」と
言える気持ち抱きしめてたい

槇原敬之「どんなときも。」

二〇の頃だったろうか。母親が図書館から、80年代、90年代ベストソング、というような、アンソロジーを借りてきた。その一枚を私はポータブルCDプレイヤーにセットして、ベッドに寝そべりながら聴いた。その曲は初めから私に新鮮な印象を与えた。聴き慣れるために何度も繰り返し聴く必要はなかった。シンセサイザーの最初のイントロで私はやられてしまったのである。「一目惚れ」とは、このような経験を言うのだろうか。人との出会い、作品との出会いにも、人生を変えてしまうような決定的な契機があることを知った。

製鉄所のコンビナートは
赤と白の市松模様
君に見せるつもりだった
ロケットの模型と同じで

槇原敬之「PENGUIN」

その後、槇原敬之のアルバムを買い集めた。「もう恋なんてしない」などの恋歌が有名だが、ときにそれらの曲は私にとって甘すぎるように感じた。しかし、それでも、私は高村光太郎の詩やライナー・マリア・リルケの詩に感動するよりも前に、槇原敬之の歌に感化されていたのである。私もいつか歌詞を書いてみたい、と密かに思うようになった。その気持ちは優れた歌を聴くたびに繰り返し確認された。だから、私の関心は純粋に文学に向けられていたのではなかった。文学と音楽の接点に位置していたのである。

まるで家出をするように実家を出るときも、私は槇原敬之のディスクをすべて持って行った。その後、職を転々としたし、引っ越しも二回した。酒に溺れたこともあるし、病気もした。恋愛で身動きが取れなくなったこともあった。もう、駄目かもしれないと思った瞬間が何度もあったけど、槇原敬之の歌は励ましてくれたのである。

辛さから逃げることで
自分を騙しながら
生きることが幸せなら
僕らはいないはずだと

槇原敬之「Cicada」