昨日、ある児童文学作家へのインタビュー記事のゲラが上がってきた。それを素読みした後輩が言った。「兼子さんの思想が表現されていますね」こういう「コーナー」は普通の新聞記事よりも自由な文体で書けるので、自分の思考を率直に表現しやすい。ときどき「~である」など、断定的な措辞も使うことができる。要するに文学的な文章が書けるのだ。取材に協力してくれた先方の作家も原稿の内容に満足してくれたので、自信をもって世に送り出すことができる。その人は私の文章を「介護を経験しているから温かいですね」と言ったが、それは違う。言葉に仕えているから温かいのだ。
中年は寂しい
月曜日はだいたい四ツ谷の角打ち 鈴傳で取締役、DTPオペレーターと飲む。4割が仕事の話、その他6割が他愛もない雑談である。ジャーナリストとしての成長する上で、とても助かっているが、同年代の同僚との交流が乏しいのが寂しい所である。最初は彼等に物珍しい存在として見られたのか、飲み会に誘われたり、小旅行にも出かけたりしたが、いつしかそれも途絶えた。仲間外れにされたと言えばそれまでだが、私も彼等をジャーナリストとしてではなく、ただのサラリーマンと見なしているので、特に口惜しくもない。私がやるべきことは、いま目の前の仕事に勤しむことと、後に来たるべき仕事のために備えるだけである。四ツ谷は通過点に過ぎない。
しかし、悲しいことは、中年になると友達が居なくなることである。編集と伝道に努める私は絶えず新しい出会いに恵まれているが(世人が嘆く「出会いがない」生活とは無縁である)、それでも「君に友達は居るか?」と訊かれれば、一瞬、返答に困ってしまう。人は歳を取るごとに、一人、また一人と友達を失っていく。友達が居なくなっていく。その現実を認識し始めるのが中年という年頃である。会社の同僚はそれ以上でもそれ以下でもないし、教会の会衆は半分友達・半分同僚である(それだけでも恵みと思わなければならない)。中年は寂しい。だから、友達を大切にしなければならない。人生には一人の友達、一人の恋人が居れば十分である。
酒場のサマリア人
先日、10ヶ月ほど仲違いしていた友達および彼の職場の同僚と竹橋と湯島を飲み歩いた。竹橋ではアットホームな味と雰囲気が特徴の居酒屋で日本酒をイッパイ飲んだ後、大の男四人がタクシーに相乗りして湯島に移動。目当てのラーメン屋が閉まっていたので、寿司を食い、その後はゲイ・バーで遊んだ(大人しく水割りを飲んでいただけだが)。
湯島の街はお水の女の子たちが早春の夜気に震えながらも、元気に声掛けをしていて、完全にコロナ前の活気を取り戻したように見えた。友達と語らいながら路地を闊歩し、色とりどりの飲み屋の看板が目に入ってくるとわくわくしてくる。「君と一緒ならば、地獄の三丁目も楽しい」酒精に満たされた私はかつて絶交した友に言った。彼は破顔して応えた。
第三の場所という言葉がある。家庭でも会社でもない、その人にとって大切な場所を意味している。私にとってそれは教会とそこに集う人々を指すが、酒場に連なる人々も含んでいる。キリスト教徒もいれば、キリスト教徒でない人もいる。教会は毎週の安息日に必ず通っているので、私にとって憩いの場所であると同時に、私を鍛え、才能を伸ばす場所である。私は大学のチャペルが好きで、そこに属しているが、教会はまさに私達を養い、育む学校である。
さて、酒場はどうかというと、バー・カウンターの一席を自分の居場所だと勘違いすると、生活にいろいろと支障が出るし、それによる不幸と悲劇もたくさん見ているけど、酒場は教会と違って、多様な宗教、思想、性別、階級の人々が集う場所である。彼等と酒を酌み交わし、共に語らうことは、聖書の「善きサマリア人」を見出す過程だと考えられないだろうか。酒場の勘定は高い。しかし、それは寛容な心を育むための勉強料なのである。
水割りの愉しみ
ジン・トニック、ウイスキー・ジンジャーを経て、最近はウイスキー・ウォーター(ウイスキーの水割り)を飲んでいる。昔、バーボンの水割りを飲んで以来、苦手意識があったが、中年に入り、酒をゆっくり飲みたくなったこともあって、この飲み方を始めたら、案外美味しいことに気づいた。老人ホームで働いていた頃は栄養補給のために(同僚の影響もあって)、ビールばかり飲んでいたが、最近はそれ一辺倒では肥ってきたので、改めた次第。ジン・トニックも大好きだが、清涼飲料水は腹が膨れるので、最後はウイスキーの水割りに辿り着いた。ほんのりとウイスキーの味わいがするのがよい。優しい口当たりで徐々に酔うのも乙だし、胃腸や食道への負担も少ない。若い時分は開高健の「大の大人が水割りにして飲めるか」という言に共感して、ストレート(あるいはトワイスアップ)一辺倒だったが、身体が持たなくなった。中年に至り、私は水割りを発見した。
しかし、世間の嗜好は私とは別の所にある。平成を経て、令和に至ると、飲食店、特に居酒屋ではハイボール(ウイスキー・ソーダ)が主流である。これはこれで美味しいと思うが(特にレモンを効かせてくれるとよい)、食事に合わせたり(特に海の幸)、一人あるいは大切な人としっぽり飲む時は不適当だと思える。これは私の懐古趣味だろうか? そもそも「水割り」という言葉には昭和の響きがある。クリスチャンの私は基本的に西暦を用いているが、和暦、畢竟、元号でしか表現できない時代の雰囲気というものはある1。私はこの時代に馴染み切れないのではないかと思う。とまれ、ウイスキーが私の人生の相棒だと自覚した夜(朝)だった。
- ただし、近代の天皇制は、天皇の寿命を元号≒時代と同一視しているので、古代、中世で演じられたダイナミックな政治的ドラマは捨象され、時代と社会に対し、政治を否定する状況を強いているという、藤田省三の指摘を私は支持する。近年の日本の政治的・経済的停滞の原因は、国民の精神的弛緩と自民党政治にあると言えるが、元を辿れば、天皇制に帰着する。↩
政治神学
編集者として身を立てようと決めた後、問題になるのは専門を何にするかだ。私はこれを文学・神学・政治学と思い定めようと思う。どれも頑張らなくても楽しみながら勝手にやっているというのが大事である。最近始めた(というよりむしろ、私は聖書を18歳の頃から読んでいるので、少年の物心ついた時に始まっている)、神学にせよ、文語訳 聖書は繰り返し読み、これも修行の一環なのかもしれないが、特に苦もなくやっているので、これは才能と見ていい。文学も勝手に読むし、勝手に書くので、これも大丈夫そうである。政治学は最近ご無沙汰であるが、この分野に関しては政治哲学(政治思想)に集中すべきである。政治の哲学は元を辿れば神学に由来し、それによってますます豊かになる。政治哲学は政治神学に還るのである。
さて、この中で文学はどのような役割を与えられているのだろうか。文学(Arts)は人間の業であり、人間の学である。それは必ずしも神の御心に適うものではない。文学と神学は鋭く対立する。旧約の歴史が示すように、人間の手仕事は神からの離反をもたらしてきた。文学と神学は近くて遠い関係——時に憎み、特に愛し合うのである。政治学が両者の仲を保つと考えるのは希望的観測に過ぎないのだろうか。
編集者
小説や短歌は書くべきだと思うが、今後、自分の中の文学趣味を捨てようと思う。つまり、それは私の文学者としての存在可能性を捨てたことを意味する。文学に執するより、私は編集者として、政治学、哲学、神学を横断的に書き記す方が向いていると思う。これは芸術を捨てて、学問に移ることを意味しない。芸術には忍耐と快楽が必要だし、学問はそれ以上の禁欲を要求される。私は専門的、体系的に学問をするには既に歳を取り過ぎている。しかし、学び続ければ、何かしら書き記すことができるはずだ。先の言と矛盾するが、私はジャーナリストとして、政治学、文学、神学を専門にしたい。介護はどうするんだと思われるかもしれないが、介護は私に消し難い刻印(傷)を残したが、それはすでに過去の経歴である。
Trotzdem
国際展示場でイベントの仕事のあと、葛西臨海公園で途中下車。コンビニで缶ビールを買って、汀の岩に腰を降ろす。東京の夜光に照らされる夜の水面を見つめた。